人生観について

人生観について

結婚するかしないか、子供を持つかどうか、賃貸か持家か、どんな仕事に就くか、Twitterなどでは毎日のように何が正しいか、何が間違っているかと議論が盛んです。

いつかそれぞれ個別のエントリも考えたいなと思いますが、それらの全て、人生について、人が生きるとは何なのか?少し考えてみました。抽象的で思ったことをそのまま書いていますので、前後の繋がりが希薄かと思いますがご容赦下さい。

人生に何を求めるか

子供は負債にしかならない、配偶者も要らない。SNS上ではそのように語られることが多いですが、単純にその方が注目が集まるからです。

もっともらしい理由も併せて書かれますが、全てそのまま受け取ってしまってはいけないと思います。あくまで環境も違えば性格も違う、全く他人が経験したことであって自分ではどうなのか?よく考える必要があります。なのでここからは私の思う事を述べます。

人が生きるとはどういうことなのか?少し飛躍した話をしますが、人類は100万年以上前から脈々と命を繋いできました。今では地球上で70億以上もの人間が生活していますが、その中のたった一人、そしてその一人の一生とは何と短く小さなものでしょうか?富や名声をいくら集めても、その小さな存在から逃れる術は存在しません。

どれだけ甘美で悦楽な時間を過ごそうとも、全ては一瞬で過去となり消えていきます。苦しく辛い時間もまた同じです。最期には全てが無に帰すのに人間は何故生きているのでしょうか?恐らく意味を見出すことは不可能です。この宇宙にすら存在の意義を見出すことは出来ません。

しかし私達が今ここに生きている事は事実です。それは長い歴史の糸がここまで途切れなかったことを示しています。子供は負債だから必要ない、配偶者もまた同じだと言うならば、それをご両親に言えるでしょうか?正しければ貴方はこの世界に存在しないことになりますね。

なので私は子を育て命を繋いでいくことが人生における最大の目標、求めるものだと考えています。それが定まればその為に何が必要なのか?配偶者、安定した仕事、安全な住居、1つの目標が定まることで全ての方向性が決まっていきます。

最期は唐突に訪れる

毎日のように起こる交通事故、一度に大きな犠牲が出てしまう天災、無差別な殺人事件…何の前触れも無く人は簡単にその命を落としてしまいます。

亡くなった方はその前日まで、まさか明日人生が終わる思わなかったでしょう。しかしそれは誰にでも起こりえる事です。ある程度の年齢に達するまでいつ死んでも後悔しないと言うのは無理でしょう。私にはまだ小さな子供が居ます、その子を残したまま納得行く死を受け入れるのは不可能です。しかしそのような事情で死を100%回避することもまた不可能です。

出来る事といえば、心構えと物理的な対策です。地震や津波の対策なら住む場所を考える。豪雨で水没や土砂崩れなどで亡くなる方は、農業でその場所を離れられないのかも知れませんが(農業には水が必須で、川から水を引くためには必然的に川より低い土地を農地にする必要があります)そうでなければなるべく水害の多い場所は避けるべきです。交通事故であれば歩く場所を考える。暗い道や狭い道は避けるべきです、ガードレールのある歩道を通るようにしましょう。車は軽自動車ではなく衝突安全性の高いセダンにしています。

ローンで家を買うのも良いでしょう。賃貸は何が有っても家賃を払い続けなければなりませんが、前者であればほぼ加入必須となっている団体信用生命保険により死亡以降のローン支払いは免除されます。勿論賃貸で生命保険に加入すると言う手もありますけどね。

自分の資産や様々な契約は一覧にし、遺族が困らないようにもしています。株式取引をしている為、証券口座が3口座、銀行口座も複数ある為、最悪資産の居所が分からなくなり回収不能になる可能性も有ります。

このような思考をするとまた、必要な選択肢が見えてくるかと思います。

意味の無い楽しさも必要

人生において何を成すべきか…使命のような物を示しましたが、意味は無いように思える「楽しい事」も必要だと思います。

嗜好品のお酒や高級な食事、旅行など、人生において必ず必要かと問われれば不要かもしれません。しかしお酒を飲みながら友人と会話を交わし、笑い合い、同じ時間を過ごす事も自分の人生の中で大切だと思っています。ゲームや小説の世界に浸るのも同じです。

楽しい事は息抜き程度にするとか、割合で決めるのではなく本当に大事なのは何なのか、必要な判断を誤らなければ良いだけだと思います。

人生において迷い、行き詰まったりした時に見返す為このエントリを書きました。これからも年齢を重ねた際に加筆修正をしていきたいと思います。

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